マラソンって辛いのに、何故、また走ってしまうのか、そこには、マラソンイベントに仕掛けられた「時間の共有」よいう要素があるからだと思います。
まず、マラソンイベントの中でもフルマラソンに出場する参加者は、少なくとも1年間、通常は2年間程の練習をしてからではないと42.195kmの距離を制限時間内で走ることはできません。
よって、特に初心者にとっては、マラソンに参加しようと決めてから1年ないし2年の歳月がかかります。そして、その間は、月間100㎞程そして週2~3回の練習量が求められます。また、その間に怪我をしたりするので、ちゃんとした練習量を確保するのも容易ではありません。そして大きな大会になると約半年前に申し込みをしなくてはならず、申し込んでも抽選になることも多いです。
ということで、スタート地点に立つまでに、非常に長い間練習や抽選に当選するという運もあるので、晴れてスタート地点に立った時は、今までの努力が思い出されて非常に感慨深いものがあります。
そして、周りのランナーを見回すと、脚の筋肉の付き具合、身体の引き締まり具合、ランニングシューズの種類などいろんなポイントを確認すれば、その人がどのくらいの練習量をやってきて、今日のこの場に立っているか、ランナー同志、容易に判断できます。この時点で、既にその見ず知らずのランナーと過去の時間を共有している感覚になるのです。
さて、レースが始まると、様々な人が自分の周りや前方を走ります。その中には背中にメッセージを張ったり、プリントしたりしている人おり、「福島に元気を!」とか「世界に平和を」や「マラソン100回完走目標」などのメッセージを目にします。また、母親の伴走者を伴った障がい者の人や、結婚したばかりで花嫁花婿のコスプレをして走る人もいます。こういうメッセージや人を見ると、彼らがどんな思いでこのイベントに参加したのかがわかり、イベント前の彼らの時間も想像できます。
また、応援の人たちの中には、「今回抽選外れました。私の分も頑張ってください」と書いた看板もって応援してくれたりするので、その人たちのストーリーも共有できるのです。
3~4時間も走り30㎞くらいの地点になると、皆くたくたになってきますが、誰ともなく「あと残り10㎞くらいで終わってしまいます。残り僅かのマラソン楽しみましょう」と言う掛け声で、「ああ、2年間もかけて準備したイベントがあと1~2時間で終わってしまう」と本当はきつくて早くゴールしたいのに不思議なもので、名残惜しい気持ちがわき元気がでます。
それで結局4~6時間かけてゴールすると、周りの人は一緒に走った「同志」のような気がしてくるものです。これはその間、時間を共有したからだと思います。
さて、マラソンイベントはこれで終わりません。それから何か月も経った後、完走賞として貰ったTシャツを着て走っていると、たまたま同じシャツを着て走っている人とすれ違うことがあります。もちろん知らない人ですが、何故か会釈してしまいます。苦しかったそのマラソンを思い出し、それを同志と確認し合う瞬間になるということなのでしょう。
これが、辛くてもまた走ろうと思わせるマラソンイベントの仕掛けだと思います。
コメント